大学の夏のスクーリング、オンライン授業がはじまりました。
大学の授業って、ほんとわからないものはわからないんだけど・・
面白いものはおもしろいのが多いんですよねー!!
今日受けた授業でおもしろかったのは
「ハーメルンの笛吹き男」の謎について解説があった授業でした。
グリム童話ハーメルンの笛吹き男とは
1284年6月26日に子供が大量にいなくなっている記録が残っているため
実際に起きたとされる出来事についてグリム兄弟がその伝承を物語にしました。
この物語の背景としてドイツのハーメルンをはじめ、ヨーロッパの町は一つで完結した街だったそうです。
街の外には深い深い森があって、その周りに城壁があってその中に街があったそうです。
街を結ぶ街道は森の中にありました。
基本的には外にでなくても、暮らせるよう、街が完結しているため、城壁の中で一生を終える人も多く、外部との交流はあまりなく一部の特権階級のみだったと言われています。
グローバル化した現在と全く違いますね!!
いわば閉鎖された街だったので、外部の人や異端の人への偏見がとてもあります。
昔は深い森で森は異界悪魔が住む世界
城壁の外は楽団士、物乞い、新興宗教家など社会的にみとめられていない人物が通る道で
迫害された人たちが行き来していたそうです。
そのため街の外に住んでいる人は「魔女」と呼ばれ偏見にあい、魔女狩りにあっていました。
ハーメルンの笛吹き男、「笛吹き」なのでおそらく楽団士だったのではないかと考えられています。
音楽家の地位が高くなるのは19世紀以降で、13世紀では音楽家の地位も低く、
ネズミを退治したため、魔女や悪魔の使いだと思われて、褒賞もでなかったのでしょうか・・・。
実際にこの事件のあと、イタリアの港からドイツの子供達130人が奴隷として他国へ
渡ったという記録が残っているため
子供達(子供の母など大人もふくまれていたと言われています)は
奴隷として連れ去られてしまった。というとても胸が痛み、衝撃的な事件です。
そして、当時連れ去られた子供の親たちの記録や悲しみの記録は残っていません。
これは、識字率が低かったということもありますが
当時は、「悲しみ」などを表現する。ということが一般化していないんです。
例えば人が亡くなった時も。生まれた日と亡くなった日と何歳で亡くなったかを墓石に刻むくらいだったそうで、これは当時の人が悲しみを感じていないということではなくて
それを表現する語彙・文字・表現方法が当時は浸透してなかったんです。
限られた人が伝承したり、物語にしていったのです。
今は、自分の思いをどこでも発信できるのと対照的で、当時の人々はどう感じていたのだろうか?、その悲しみや喜びをどう表現していたのだろうか?と
時代とともに変化する表現方法についても、考えさせられます
そして、閉鎖される世界では偏見が起きやすい。ということも
この授業で感じたことでした。悲しみを連鎖しないように、認め合い可能な限り仲良く暮らせるように、自分の世界の外も知る必要があると感じます。